騎士団とは

四世紀から受けつがれる騎士道精神と、人道支援の先駆者としての歴史

サヴォイア家騎士団は、ジュネーブに本部を置き、世界40以上の国と地域に支部をもつ国際人道支援NGO団体です。それぞれの管轄地や援助を必要とする地域にむけて、60以上の医療、教育、災害復興などの支援をおこなっています。

正式名称は「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」といい、4世紀エルサレムからのルーツをもつ最も古い騎士団のひとつです。
古くから騎士道の本質は「寛大さ(Largess)」であるとされ、これは騎士にとって必要不可欠な美徳です。寛大さとは「他者を理解し思いやりをもって接すること」であり、その精神が慈善行為という活動に表れます。
また、騎士は貴族階級のひとつであることからも「ノブレスオブリージュ(もてる者の道徳的責任)」を果たすためにそのような精神は欠かすことができません。

当家騎士団の最も古いルーツは前述の通り中世よりさらに遡るものです。当時の騎士たちは異教徒との戦いだけでなく、彼の地でハンセン病患者や巡礼者のための病院を営んでいました。その時代、ハンセン病は深刻に恐れられ、その患者は隔離され差別されることが一般的でした。寛大さに基づいて「弱き者」を守護する使命をおう騎士団にとって、そうした患者たちや孤児・寡婦たちのための慈善活動をすることが最重要の存在目的のひとつでした。

騎士団は創立当初から現代に至るまでその精神を継承し、医療を中心とした慈善活動を絶えることなく続けてきました。第二次世界大戦後は、医療と並んで教育分野にも特に注力するようになりました。創立当初の目的には「海賊から海路や沿岸都市を守ること」「キリスト教聖地の奪還」が含まれ戦うことも重要な使命でしたが、現代においてはそうした役割や宗教的な性質はなくなり、純然たる慈善団体として存在しています。

サヴォイア家の騎士団と勲章(Ordini Dinastici della Real Casa di Savoia)

サヴォイア家はイタリアを統一した、ヨーロッパで最も古い歴史をもつ王家のひとつです。
サヴォイア家のもとには「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」と3つの勲章が存在し、それらをあわせて「サヴォイア家騎士団」と呼びます。
これは、イタリア語では「騎士団」と「勲章」のどちらも「ORDINE(ORDINI)」という単語で表現されるためです。

聖マウリツィオ・ラザロ騎士団(Ordine Militare e Religioso dei SS. Maurizio e Lazzaro)

1572年、ローマ教皇グレゴリウス13世の勅書「Christiani Populi」「Pro Commissa Nobis」により「聖ラザロ騎士団」と「聖マウリツィオ騎士団」が統合され、現代につづく聖マウリツィオ・ラザロ騎士団となりました。

聖ラザロ騎士団は「聖ヨハネ騎士団」「テンプル騎士団」「ドイツ騎士団」とならぶ最も歴史ある騎士団のうちの1つです。4世紀頃にエルサレムにあった巡礼者のための病院に由来をもちます。古代の正式な文書が失われているため、正確な設立年は中世から研究や議論の対象となってきました。古くは西暦42年だとする説、最有力視されている370年とする説、などがあります。
聖マウリツィオ騎士団は1434年にサヴォイア家第19代当主アメデーオ8世により設立された騎士団でした。アメデーオ8世はのちに歴史上最後の「対立教皇」フェリックス5世となった、特に信仰心に篤い人物でした。
統合にあたって騎士団を率いる総長の地位はサヴォイア家に託され、子孫に永遠に受け継がれるものと定められました。

創立当初、騎士団の存在目的は「病院運営や医療行為による弱者救済」「海賊から海を守ること」「異教徒との戦い」「カルヴァン派やルター派との対立」などでした。入団できる者は実績と名声のある貴族の子弟に限られており、非常に厳しく規定されていました。
騎士団の軍事的な歴史はその後何世紀にも渡り、18世紀半ばに華麗さと威信の頂点に達しました。しかしフランス革命の後、社会の大きな変化から、大きな改革が必要になりました。1831年と1851年の勅許状により騎士団は軍事的及び宗教的役割を手放すと同時に、貴族以外にも門戸を開くこととなりました。学術、芸術、産業的な功績、または高度な慈善行為などにおいて卓越している者であれば、階級に関わらず騎士として認められるようになりました。

イタリア統一運動を経て1861年にサヴォイア家がイタリア王国の王家となると、騎士団は事実上の国家勲章として扱われました。国交のある諸外国へも授与されることがあり、日本でもこの時代に明治天皇、伊藤博文、山縣有朋をはじめとする名だたる方々が受勲されています。

聖マウリツィオ・ラザロ騎士団は、1572年の教皇勅書および1713年のユトレヒト条約で国際的に認められている通り、その王朝的性格により宗主家たるサヴォイア家に永遠に帰属するものです。すなわち、いかなる政変があっても、その有効性をそのまま維持することができるとされています。
1946年にイタリアが共和制に移行しサヴォイア家が王家ではなくなってからも、騎士団はサヴォイア家の統率のもとに存続しています。騎士道の本質である慈善活動は近年ますます活発さを増し、2022年に創立から450周年をむかえました。

サヴォイア家の最高位勲章と市民のためのふたつの勲章

最も神聖なるアンヌンツィアータの最高位勲章
Ordine Supremo della Santissima Annunziata

1362年、サヴォイア家第17代当主アメデーオ6世が妹のビアンカとヴィスコンティ家ガレアッツォ2世の結婚に際して創設したもので、当初は「首輪の勲章」と呼ばれていました。「私的な争いを避けるために、権力者間の結合と兄弟愛を築く」ことを目的とし、最も輝かしい忠実な貴族にのみ与えられ、憲章ではこの勲位を得た者はすべて平等とみなされ、互いに「兄弟」と呼ぶべきと定められていました。

後にサヴォイア家第19代当主アメデーオ8世が勲章に「サヴォイア・ノット(Savoy Knot)」「FERT」の銘を交互に配置すること、襟に15本のバラを飾ることを定めました。これは、1364年にアメデーオ6世が十字軍騎士章を授与された際にウルバヌス教皇から送られた黄金のバラを記念しています。また、受胎告知(=アンヌンツィアータ)の像が描かれたメダルも追加されました。このときに「最も神聖なるアンヌンツィアータの最高位勲章」の名前が冠されました。

この勲章はサヴォイア家による最高の栄誉であり、これを授与された者には、在位中有効な儀式および儀礼の特権が与えられます。2024年現在、イタリア共和国はこの勲章を承認せず国家勲章ではありません。しかし、この勲章はイタリア王国成立以前の家系に由来するものであるため、現在でも君臨する各国王家のメンバー、高貴な家系、またはサヴォイア家に比肩するものなき功績を残した人に授与されており、ヨーロッパの紋章学ではガーター勲章と比較される重要性を持ち続けています。

サヴォイア市民勲章
Ordine Civile di Savoia

1831年10月29日、サヴォイア家第47代当主サルデーニャ国王カルロ・アルベルトによって、軍に属さない者の民徳と功績に報いるために創設されました。この勲章は、イタリア人、特に「科学者」「学者」「行政官」「エンジニア」「建築家」「芸術家」「発明者および出版者」「科学および文学の教授」「教育的指導者」の分野において著しい業績のあった者に与えられます。最大で70名と定められています。

サヴォイア功労勲章
Ordine al Merit di Savoia

1988年、サヴォイア家第52代当主ヴィットーリオ・エマヌエーレは、サヴォイア家に対する様々な功績があったイタリア人および外国人に報いるため、サヴォイア市民勲章の中に聖マウリツィオ・ラザロ騎士団のように五つの階級に分かれるサヴォイア功労勲章という勲章を創設することを決定しました。
勲章の装飾は、白エナメルとフルゴールドの十字架に、青エナメルと白の盾を乗せ、片側に「V.E.」の文字が刻まれています。もう片側には「サヴォイアの功労者に捧ぐ 1988」という銘があります。青い絹のリボンに白い大極、ターコイズブルーの布製のマント、白と青の絹のタッセルが付いた4本のコードでラフを調整します。左側には勲章の十字架が刺繍されており、その十字架の大きさは階級によって異なります。