騎士団年表

42年〜1090年
聖ラザロ騎士団の成立

聖ラザロ騎士団は、エルサレムの巡礼者やハンセン病患者のための病院にルーツがあるといわれています。その成立時期には諸説あり、古くは西暦42年とするもの、有力視されている370年とするもの、などがあります。
1090年にはエルサレムで聖ラザロ騎士団の名前とともに緑の十字架がかかげられた記録があり、以降は数多くの文献にその名称や活動が記されています。

1434年
聖マウリツィオ騎士団の設立

アメデーオ8世により、聖マウリツィオ騎士団が設立されました。
騎士団はレマン湖に近いリパーリア城(現フランス・トノンレバン)を本部
とし、規則正しい信仰生活を送ることを目的とした、穏やかなものでした。
アメデーオ8世はのちに、史上最後の対立教皇フェリクス5世となりました。

1572年11月13日
聖マウリツィオ・ラザロ騎士団の成立

教皇グレゴリウス13世により「聖ラザロ騎士団」と「聖マウリツィオ騎士団」が統合され、聖マウリツィオ・ラザロ騎士団となりました。
この統合は、二つの教皇勅書「Christiani Populi(キリスト教徒のための勅書)」と「Pro Commissa Nobis(我々の行動のための勅書)」に基づいて、騎士団のさらなる発展のために為されました。エマヌエーレ・フィリベルトが初代騎士団総長として認められ、後世に渡って代々のサヴォイア家当主が総長となるよう定められました。

1574年1月22日
騎士団憲章の制定

エマヌエーレ・フィリベルトにより初代の騎士団憲章が発布されました。
「病に苦しむ人々のような弱者に対する慈愛に満ちた活動」が
聖マウリツィオ・ラザロ騎士団の第一の目的であると規定されました。
以降、時代背景に合わせて1816年、1831年、1907年、1985年に改訂や
再編がされましたが、現代に至るまでこの目的は変更されていません。

1575年4月27日
トリノに病院施設を開設

エマヌエーレ・フィリベルトにより、トリノのポルタドラネア地区
(現在のバジリカ通り)に小さな病院が設立されました。
僅か11名の職員により始まりましたが、徐々に規模を拡大しながら
貧しい病人やハンセン病患者を広く受け入れました。
1880年には病床が128床となり、それ以上の拡張は不可能だったため1885年に新たな場所(ストゥピニージ通り)に規模を拡大し建設されました。
病院は「マウリツィアーノ・ウンベルト1世病院」と名付けられました。
第二次世界大戦後、共和国体制への移行とともに病院は騎士団のものではなくなりましたが、現在も変わらず同じ名称で運営されています。
▶︎マウリツィアーノ・ウンベルト1世病院の歴史
▶︎現在のマウリツィアーノ・ウンベルト1世病院

1769年3月23日
ランツォに病院施設を開設

騎士であるカチェラーノ伯爵がリグーリアのランツォに病院を設立し、
それを騎士団が保護運営するようになりました。
当時の建物は19世紀後半までゆっくりと拡大を続け、1852年には
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の命により新館が建設されました。
1864年に「ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ホスピス」が併設されました。

1773年4月19日
アオスタに病院施設を設立

ハンセン病の再流行を受け、ヴィットーリオ・アメデーオ3世の勅令により、アオスタ渓谷の古塔が騎士団による病院施設として運営されました。
この塔はのちにグザヴィエ・ド・メーストルの小説『アオスタ市の癩病者』で広く知られるようになりました。現在は修復されて「Torre del Lebbroso(ハンセン病患者の塔)」と呼ばれる観光名所となっています。
▶︎Torre del Lebbroso

1780年5月26日
ヴァレンツァに病院を開設

ヴィットーリオ・アメデーオ3世の勅令により、
ピエモンテのヴァレンツァに病院施設がつくられました。
この施設は小規模だったため、1829年に新しい建物に移動して「マウリツィアーノ病院」という名称となり、徐々に病床を増やしていきました。
第二次世界大戦後、共和国体制への移行とともに病院は騎士団のものではなくなりましたが、現在も変わらず同じ名称で運営されています。

1831年10月29日
サヴォイア市民勲章の設立

カルロ・アルベルトにより、サヴォイア市民勲章が創設されました。
これにより、軍に属さない国民であっても各分野で著しい功績をあげた者にはこの勲章を授与することが可能となりました。

1961年3月17日
イタリア王国成立に伴う騎士団の変革

イタリアが統一され、サヴォイア家がイタリア王国君主となったため、
聖マウリツィオ・ラザロ騎士団は事実上の国家勲章となりました。

1948年1月1日
イタリア共和国成立に伴う騎士団の変革

イタリア共和国憲法の制定によってサヴォイア家は国外追放され、
サヴォイア家や騎士団が所有する全ての土地や施設は国に没収されました。
同憲法で「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団は病院機関として維持される」と定められたため、それらは共和国の公共機関として運営が続けられたり
「オルディネ・マウリツィアーノ財団」により維持されたりしています。

騎士団は本部をスイス・ジュネーヴに移し、慈善組織として存続しました。

1988年1月23日
サヴォイア勲功騎士団の設立

ヴィットーリオ・エマヌエーレ4世により、サヴォイア市民勲章のなかに
新たな階層としてサヴォイア功労勲章が創設されました。
これにより、サヴォイア家に対し様々な功績のあった者は
国籍を問わず叙勲されることが可能となりました。

2022年
聖マウリツィオ・ラザロ騎士団創立450周年

騎士団の創立から450周年の節目をむかえ、記念コインが発行されました。
また、初代騎士団長エマヌエーレ・フィリベルトが愛したトリノのストゥピニージ狩猟宮殿をはじめ、各地の騎士団支部で記念式典がおこなわれました。